ウクライナ

以下に、チェルノブイリの立ち入り禁止区域での取り組みをご覧いただけます。

破壊された原子炉とその旧石棺を覆うための新石棺の建設工事。チェルノブイリ 2014年
ProFuturum団体代表とアレクセイ・ブレウス、事故当日、4号機の制御室で働いていた発電所元従業員。この対面は原子力発電で行われ、アレクセイ氏が案内し、1986年4月の出来事について話していただきました。その訪問と対話の収録は、団体会員と興味のある方に提供しております。チェルノブイリ 2016年
団体メンバーは4号機の制御室に入れるという貴重な経験ができました。チェルノブイリ 2017年
原子力発電所2号機への訪問。この原子炉は停止され発電していないが、使用済み燃料タンクにまだ核燃料が残っているため、継続的な監視を行う必要があります。チェルノブイリ 2017年
ポンプ室。下には放射線量測定中の発電所従業員が見えます。チェルノブイリ 2016年
3号機の原子炉中央ホール。燃料棒のあるタンク付近で放射線量を測定。チェルノブイリ 2016年
原子炉事故などのような非常事態のための危機管理センターを見学しました。ここで非常事態の発生時に主たる責任者が集まります。チェルノブイリ 2016年
破壊された4号炉に隣接している3号炉の中央ホールを見学中の団体メンバー。3号炉が停止され、核燃料は取り出されました。チェルノブイリ 2014年
チェルノブイリ発電所長の特別許可により団体メンバーが新石棺の建設工事を近くで見ることができました。チェルノブイリ 2016年
ProFuturumメンバーによる新石棺の建設工事現場訪問。同様の構造物では世界最大となります。破壊された原子炉と旧石棺を覆うためにもうじき設置される。(2016年中に設置)チェルノブイリ 2016年
新石棺の建設現場で働いている作業員。ウクライナ人だけではなく、ポーランドやその他の周辺諸国の人に加えフランス人もいます。チェルノブイリ 2016年
新石棺の建設現場での最初の訪問の一つ。2012年
いくつかのチェルノブイリへの訪問は立ち入り禁止区域の住民に会うことだけに限られました。避難命令に反対しそのまま閉鎖域に住み続けています。現在生存しているのは200人ぐらいで、その平均年齢は70歳です。2014年
避難命令にもかかわらず閉鎖域に残ってそこで生活することを決めた2人姉妹との対話。2016年
毎年、孫(右)が避難命令に従わず閉鎖域に住み続けているおばあちゃんを訪れる。2015年
団体メンバーのうち、閉鎖域の住民と友情関係が生まれた人もいます。お別れはとても名残惜しい。
団体のメンバー数人、ヘリコプター飛行直前。飛行中に撮った写真は団体が開催する集まりや発表でのマルチメディアプレゼンテーションで使われます。2012年
ヘリコプター飛行中にメンバーが撮った写真。新石棺の開設初段階がみえます。2012年
ヘリコプター飛行中に撮影した放棄されたプリピャチ市の写真。奥に見える原子力発電所のすぐそばにあり、事故(1986年4月26日)の翌日に人口5万人の住人は強制避難させられ未だに放棄当時の状態のままです。2012年
放棄された数々の村の一つ。2012年
閉鎖域の元住民との集まり。年に一度だけ立ち入り禁止区域に戻り、自宅や親戚のお墓参りをすることが許されています。2015年
記念写真。2015年
ある訪問中に現在も医者として仕事を続けている女性と出会い、プリピャチを案内してもらいました。事故当時まで働いていた小児病院を案内してもらい、当時の生活や仕事と非難の様子を語ってくれました。大変興味深く感動させられるその対話は収録され、団体メンバーや興味のある方に提供しております。2012年
チェルノブイリの立ち入り禁止区域で働く人との集まり。ウクライナの伝統的な食事に閉鎖域にいる普通の人たちの毎日直面する問題について話を聞きました。福島で撮影した写真や動画も見せました。
燃え盛る原子炉の消火活動で亡くなった消防士や他の方々を記念する場所。スラヴィティチ 2017年
壊れた4号機を覆う新石棺の建設完了後のチェルノブイリ原子力発電所。ドローンから撮影した写真(特別許可のもと)。発電所は現在廃炉のプロセス(デコミッション)を続行中です。2018年
新石棺で覆った発電所の最新の写真。2018年